上田市の自然 千曲川

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千曲川

 千曲川の流域には先石器時代から中世に至るまで、遺跡が多く出土します。もっとも古い時代の遺跡は約5万年前のものと推定され、この頃日本はまだ中国大陸と地続きでした。このような大昔から人々は千曲川とその周囲の豊かな自然から恵みを受けて暮らしてきました。
 長野県内では新潟県境近くの野尻湖で見つかったナウマンゾウの化石と、そこで狩猟に使われていたと見られる石器などが見つかっており有名ですが、同じ頃の先土器時代後期頃から千曲川流域に人が住み着いたのではないかと推測されています。

 川中島の戦いとは12年間5回に及ぶ合戦の総称で、その中でも最も有名なのが永禄4年(1561年)の八幡原の戦いでしょう。この川中島の戦いは、いずれも犀川・千曲川が戦場のキーポイントとなっており、天然の要害としての千曲川の姿が見て取れます。

 中世において行政・軍事拠点となったのは城でしたが、千曲川を防御に取り入れた平城としては、八幡原の戦いでも重要拠点となった松代町の松代城(旧海津城)や、上田市の上田城があります。上田城は真田幸村(信繁)の父、昌幸によって千曲川旧流路「尼が淵」のほとりに築城された平城ですが、その守りは堅く天正13年、慶応5年の2度に渡り徳川軍の猛攻を退けた名城です。

 一方で、武田信玄により築城された海津城は、後に松代藩(真田氏)の居城松代城となりますが、上田城と同じように千曲川を防衛のために取り込んだ平城でしたが、寛保2年の戌の満水と呼ばれる大洪水で浸水を受けてしまいます。このため、千曲川を防衛に利用するためにその畔に作られた城でありながら、洪水を避けるために千曲川の瀬替えを行い、その流れを遠ざけねばなりませんでした。

 現在、千曲川のほとり八幡原は古戦場公園として整備され、人々の憩いの場として親しまれているほか、松代城(旧海津城)も復元が完了して一般開放されています。また上田城は北陸新幹線の車窓からもその姿を見ることができ、いずれも歴史浪漫が香る観光拠点として多くの観光客で賑わっています。
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